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夫婦、子供2人、犬1匹が奄美大島へ移住。海と畑と人にもまれて走りまわる生活記録
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19日は妻の誕生日。ほんとに久しぶりに、ディナーを楽しみにでかけました。いつもと違う雰囲気に子供たちはそわそわ。大人もそわそわ。美味しいコース料理を満喫いたしました。それにしても最近の夕焼けの美しさには癒されます。






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あの豪雨からはや一ヶ月が経とうとしている。いまだに家に帰れない方、無くなった方がいたことを考えるとやはり尋常ではなかったと思い返す。写真の土砂は、笠利(北部)と名瀬方面を断ち切った巨大な土砂崩れだった。しかしそれもようやく撤去のめどがついたようで、名瀬からの帰りには作業が始まっていた。爪痕がまだまだ残っているが、交通はだいぶ回復。生活は落ち着きを取り戻し、島のラジオもいまでは通常放送だ。観光は大打撃だが、それでもときどき観光バスも見かける。


なんだかせわしなくなっていたこの頃。それでも仕事の帰りにこんな夕日をみると、疲れも悩みも吹き飛んでしまう。立神のシルエットを浮かび上がらせる神秘的な光。癒しの夕方。


もう11月になったら普通は冬ですよね。ホームセンターでもクリスマスの飾り付けが並んでいます。でも奄美大島はセミが鳴いています。晴れていると暑いです。最近はどうにか通行ができる様になった道路でよく名瀬へでかけます。ところどころ、工事車両が土砂の撤去などで動き回っています。建築土木関係者の方々はしばらく大忙し。豪雨から2週間が経ちました。あの出来事がなにか家族に意識の変化でももたらしたのか、我が家では液晶テレビの導入、地デジアンテナの設置など、急速にバージョンアップしています。引っ越してきてもうすぐ4年。それまでテレビ無しでした。あってもDVDをかりて見るだけ。世間のニュースはラジオと新聞と人の噂がたよりでした。アンテナを七転八倒しながらとりつけ、32型の画面にサッカーの中継が鮮明に映ったときは家族で大拍手!まるでサッカーでゴールがきまった時のゴールパフォマンスかというくらいの騒ぎっぷりでした。次はもうすぐ故障しそうな炊飯器が目標。いまほんとにいろいろありますね。中の釜が鉄とか、銅とか、真鍮とか。なにが違うのかさっぱりです。でもそれを選ぶのもまた楽しみなものです。こんな日常の些細なことが、いまとても幸せに感じます。家族で買い物にいくとかいう普通のことが。子供たちも元気にやってます。3日の祝日には小学校の校庭で木登り。学校の庭で木登りなんて最高ですね。授業でもやればいいのに。木の上に家をつくれたら卒業とか。話変わって、この大豪雨災害で観光客のキャンセルが相次いだそうです。そりゃそうですね。テレビであんな映像みせられたら行くのやめます、普通。さて、なんだか今日は何を言おうとしているのか自分でも分からなくなってきました。些細な日常が幸せと感じているほど、やっぱりショックを受けてたって事ですね。12月のキャンプツアーが今年最後のカヤックツアーになるでしょうか。たき火を囲める喜びをあじわいましょう。


ついにアンテナ設置。我が家にも地デジ!


家が造れそうなガジュマルの樹。


久しぶりの夕日に、こころ休まる。
豪雨災害の復旧もやっと始まったばかり。今度は台風が直撃!? と、島の誰もがダブルパンチにうなっていた事と思います。しかし東にそれた台風は、強風と海の時化はもたらしたものの、やはりあの豪雨ほどではなく、あっけにとられて本日を迎えました。でも地盤のゆるみから来る土砂災害への警戒は、以前呼びかけがつづいています。復旧現場の横を通るときは、見上げるような土砂の山に固唾をのんでいます。我が家は豪雨ではほとんど被害は有りませんでした。しかし、知人などが遭遇した恐怖や、そこら中の災害の爪痕を見るたび、少なからず精神的ダメージを受けていたようです。なんだかブログを書こうという気持ちもなくなっていました。それでも今日、久しぶりの太陽に励まさました。畑へ出向き、いくつもの冬野菜を植えてきました。まるで島の元気を植えてくるような気分でした。再生への歩みは始まったばかり。でも、生きようとして畑に何かを植えるのは、なにかとても大切なことだった様に感じています。発芽とともに新しい希望がうまれること、島が元気になって行く事を願わずにはいられませんでした。


10/24 我が節田集落ではささやかながら「種おろし」という恒例行事を行う事が出来、つかの間の明るいひとときを過ごしました。


真剣に避難用にセッティングしていましたが、幸い出航せず。南部の住用町では、逃げ遅れた妊婦をカヌーが救出したとか…。
いつそんな事がくるかわかりません。
記録的豪雨も一休み。ほんとにほんとに嬉しい太陽の光が奄美を照らしています。いまも大雨警報が解除されていませんので注意は必要です。先日北部の佐仁集落に訪れる機会がありました。どうにか車が通れるようになった道にはところどころ災害の爪痕が残っています。集落は床下浸水。すでに水は引き、道の土砂はどけられています。各家庭ごとに濡れてしまって捨てる家電製品、家具などが玄関の前などに並んでいます。慌ただしく動き回る住民の方々。行政関係者も、こりゃまいったといった疲れがみてとれます。それでも出来る事からす少しずつでも、といった具合にみなさん活気よく懸命に動いておりました。区長に何かお手伝いを、と申し出ましたが、「大掛かりな作業は終わっており、まあ個人の家に入るのも…。お気持ちだけで十分です。」と、丁重にお断りされました。早期の復興を願い、見守りながら集落をあとにしました。
 
いまもお見舞いのメールやお電話を頂いている皆様、ほんとにお心遣いありがとうございます。島が平穏を取り戻すには数ヶ月、1年とかかるでしょう。また落ち着きました暁には、美しい海をみに遊びにいらして下さい。

長谷川 雅啓
20日昼からの未曾有の豪雨によってNTTの施設、携帯電話の基地も土砂崩れ、浸水などで麻痺。そしてついさっきようやく電話が復旧しました! 
全国から心配のメールやコメントをお寄せいただいた皆様、いまようやく確認出来ました。ありがとうございます。ここ笠利地区(空港近く)はTVで放送されている住用町や龍郷町とはちがい、ずいぶん平穏です。さすがに屋根が吹き飛ぶかという雨ではありましたが、床が浸かるなどのことはありません。子供も歩いて学校や保育所にいける状況です。いま困っているのは、隣町の龍郷町、その向こうの中央の名瀬へ道が寸断されていて行かれない事です。物資が届かないので北部のスーパーも一夜で棚ががらがら。近所に間もなく出産予定日の人がいるけど大丈夫かと心配になります。
今夜もまた激しい雨の予報。まだ移動は細心の注意を要しますが、電話がつながっただけで首を絞めていた手が離れたかのような開放感です。まずは復旧一段落です。取り急ぎご報告まで。

長谷川
10月3日。奇しくも娘の誕生日と運動会が重なった秋の1日。そこは大人の校区運動会も一緒に暑くなる1日です。ぎりぎりまで瀬戸内町へ仕事でいくから出られないはずだった私。しかし仕事が急遽なくなって出場。加えて集落で突然のお悔やみが重なり、運動会に出られない人が続出。というわけで正式に選手として種目が決まっている場合よりも多くの種目に出る事に。むかで競争(大人でも本気です)、400mリレー、30kgの俵担ぎ100mレース、800mリレーと出場。もう足腰くらくら。かと思ったらまだまだ元気な38歳の自分の体はいったい体内年齢いくつなのか。いつも25kg、45kgのシーカヤックを一人で車に乗せたりおろしたりの仕事のおかげで、想像以上の体力がついているようです。そのうち相撲にも出させられるぞこりゃ。


全校生徒でこんなものです。


みなさん、奄美大島に移住したら、
本気で運動会で走りましょう。かなり面白いです。


台風9号がさってようやく大平洋側も静かになりつつある。そして昼間はぎらつく日差し。となればまた子供が「泳ぎた〜い!」になる。そしてついていくと、やっぱり自分も一緒に遊んでしまう。夕方の水温もまだぬるく感じるほど暖かい。40分くらい服のまま浸かっていても平気だ。そこへ美しい夕焼けの光が射す。いっきに心のお腹がいっぱいになる。こんな時間、遠い昔に体験した気がする。そう、自分が子供のときのあの時間。いつまでも楽しい時間が続いているような感覚。世界は不思議な魔法の力で満ちているかのような感じ。子供たちを遊ばせているはずが、いつの間にか彼らに素敵な世界へつれてきてもらえたような夕方だった。









就職しないで卒業する学生が急増とか、人員削減で首切りとか、世の中は寒いニュースが走っています。一方で暑さで亡くなる方が東京都だけで160人近くになったとか。そんなラジオの放送のから87年前の関東大震災の話が飛び込んできました。約300人の朝鮮人を救った日本の警察署長の話です。当時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」とよからぬ噂が立ち、多くが殺害されるなどの迫害を受けていたそうです。そこで逃げてきたその約300人の方々を、署長は不確かなうわさだけで迫害するなどおかしいとしてかくまったのです。実際その方々は、近所に働きに来ていただけだったのでした。警察署には1000人の群衆がつめより、なぜ朝鮮人をかくまうのかと抗議されます。しかし署長は命がけで群衆と対峙し、「朝鮮人を殺すなら私を殺せ」とかくまい続けました。当時の風潮の中で朝鮮の方々をかくまうというのは、それだけで逆賊のような扱いを受け、下手をすると命まで落としかねない事だったようです。それでもその署長は彼らを一人も群衆に引き渡さず、守り抜きました。いま、その署長の行為を讃えて語り継ごうという活動が始まっている、とそのニュースは告げていました。そんな勇気ある署長の行為に、私は強く感動を覚えました。日本版シンドラーのリストといったところでしょうか。

ニュースはこちら
先日ご紹介いたしましたRainbow cafe。主力のカレーのご紹介がまだでしたね。そこでアップ。やっぱりご主人が一番力を入れているだけに一番おいしいと思います。主観ですが、みなさんはなにが一番お好みですか? 


これがレインボーカレー
おいしそうでしょ


なんだっけ、この黄色にそめるやつ
忘れました


ラムネもあります
しゅわわああっといかがですか


このマークをみたらカレーを食べに寄りましょう
とある家族の休日。波乗り道具を車にのっけて原始的な海岸へ。みんなが遊んでる間、パパはランチ作り。日よけ、雨よけを考えていい場所に台所を作ります。ところが、そこは大人でも胸くらいある川の向こう。私もクリアケースを水に浮かべて向こう岸へ。そしてがんばれ家族! 無事上陸した一家はおいしいアサリスパゲッティーを食べる事ができましたとさ。
こんな休日、みなさんもいかがですか?


いい場所だ。しかし…


そこに立ちはだかる激流
懸命に横断!


無事上陸し、ランチにありつく家族


ああ、おいしかった
毎年天気が荒れる8月初旬、恒例のあやまる祭りが笠利町にて開催されました。各集落、また一般チームなども含めて大勢のチームが舟漕ぎ大会にて熱い戦いを繰り広げ、会場となった万屋漁港は観客と選手の熱気に包まれていました。そんな中で私も地元の節田集落チームで出場。練習を重ね、作戦も練り、本番に臨みました。全員一丸となって戦い抜いた結果、初の決勝進出、そして3位となりました。昨年の1位、2位のチームを破っての3位です。集落としては快挙でした。1位、2位はいずれも20代、30代で構成されたチーム。それに対して50代から20代と、年齢ごちゃごちゃなチームで近差ですから大健闘とも言えます。しかし個人的に、2位に近い差で及ばなかったことが悔しく、高校球児のようにたまらず涙がこぼれました。ああ、青春。奄美大島万歳!みんなも出よう、舟漕ぎ大会。そして後夜祭。太鼓や踊り、島唄などで盛り上げ、最後は花火大会。星空も出てすばらしい火の芸術を一同ため息をこぼして鑑賞。2010年のあやまる祭りはこうして静かに幕を閉じたのでした。


相当本気です。


初戦を好成績で突破した「バミヤンツリー ビレッジ」チーム。


盛り上がるジャンベ太鼓


華麗なフラダンス


やっぱり最後は8月踊り

「節田がいいです」と以前からゲストにリクエストを受けていました。そしてようやく太平洋沿岸が静まり、満を持しての節田でのシーカヤック。ほんとに久しぶりです。外洋なので少し沖に行くだけで見事な海の色。ウミガメもあちこちに泳いでいます。やはりなんといっても水中の珊瑚はすばらしい。そしてアフターカヤックはみんなでランチ。7月に新しくオープンした屋台の「Rainbow cafe」へ。空港線を名瀬方面に向かい、ばしゃ山村を過ぎて約3分くらいのところ。道路左手にぽつんと小さ白い家があります。屋台はその家の前。鮮やかな奄美の海とヤシの木などが描かれた軽自動車がそれです。主力商品は店主が時間をたっぷりかけてつくるスパイス入りのレインボーカレー、600円。そのほかにタコライス 550円、ラスタ丼 500円。(メキシカンチキンののったどんぶり)などなど。さっそくカレーを頂きましたが旨いです! 今日もいこうかと思うくらいです。ぜひみなさんもご賞味下さい。


泳いでよし、漕いでよしの節田の海でした。


レインボーカフェにはこんな木陰もあります。涼しい!


これがお店です。お客さんでにぎわっています。


こちらがラスタ丼 500円。スパイスもきいてます。
500円でこれは嬉しいです。
ちなみにSサイズ100円引き。
Lサイズ100円プラスもできます。
夢紅さんにて。出窓の向こうには、この世の物とは思えない美しい夏の情景が広がっていました。




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