夫婦、子供2人、犬1匹が奄美大島へ移住。海と畑と人にもまれて走りまわる生活記録
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
島のあちこちで「昨年の豪雨よりすごい」と声が上がった今年の豪雨。一夜明けていまは落ち着いています。しかしまだ大雨警報が解除されず油断はできないところです。それでも昨日、家族は全員無事帰宅。家も掃除してなんとか生活はできています。子供たちも学校や保育所に無事に通っています。お気遣いいただいた皆様、ありがとうございます。
ここ節田で生まれ育った年配の方々も、ここがこんな雨にやられるなんて数十年生きてきたけど初めてだと、口をそろえて驚いています。雨雲レーダーでも思い切り奄美北部が滅多打ちだったことがわかります。最近は過去のデータや歴史はまったく関係なく、起きるはずのないことが起きたことのない場所でも起こるようですね。科学的データや分析では安全とされても、生きる直感が危険を知らせたらそっちを信じないといけないと思い知らされます。あのタイタニック号の悲劇の時も、チケットを持っていたけどなんか嫌な胸騒ぎがして乗船をキャンセルした人達もいたと聞いています。
今回、昨年の豪雨で散々な思いをしている島民の多くは、行政からの避難支持をまたずに早々に自主避難をしていたとニュースでみました。教訓は生かされたようです。
ここ節田で生まれ育った年配の方々も、ここがこんな雨にやられるなんて数十年生きてきたけど初めてだと、口をそろえて驚いています。雨雲レーダーでも思い切り奄美北部が滅多打ちだったことがわかります。最近は過去のデータや歴史はまったく関係なく、起きるはずのないことが起きたことのない場所でも起こるようですね。科学的データや分析では安全とされても、生きる直感が危険を知らせたらそっちを信じないといけないと思い知らされます。あのタイタニック号の悲劇の時も、チケットを持っていたけどなんか嫌な胸騒ぎがして乗船をキャンセルした人達もいたと聞いています。
今回、昨年の豪雨で散々な思いをしている島民の多くは、行政からの避難支持をまたずに早々に自主避難をしていたとニュースでみました。教訓は生かされたようです。
昨年の奄美豪雨を上回るような豪雨が続いています。
朝5時に港にフェリーで着く家族を迎えにいくために3時半頃目をさますと、庭も風呂場もどろだらけ。9時頃から激しい雨が降り出し、度々停電。雨漏りも過去最大規模で天井にブルーシート三枚導入。雷も光りっぱなしの鳴りっぱなしでどうにか眠れたのが12時すぎ。4時頃に車にのって外へ出るも、そこら中にどこからか流れてきたゴミが散乱。節田の空港線はすでにアマゾン川のように濁流。ボートで水の上を走っているのかという水しぶき。そこで初めて奄美エフエムをつけてみた。するとすでに土砂崩れも各地で起きており、ひどいところは腰の高さまで道路冠水とか。そうでなくても危険を感じて引き返す。この雨、名瀬地区もすでに大勢が避難している模様。住用はどうなっているか気になるところ。もはやどこかだけが被災地と呼べない規模で災害が進んでいくかのようだ。
朝5時に港にフェリーで着く家族を迎えにいくために3時半頃目をさますと、庭も風呂場もどろだらけ。9時頃から激しい雨が降り出し、度々停電。雨漏りも過去最大規模で天井にブルーシート三枚導入。雷も光りっぱなしの鳴りっぱなしでどうにか眠れたのが12時すぎ。4時頃に車にのって外へ出るも、そこら中にどこからか流れてきたゴミが散乱。節田の空港線はすでにアマゾン川のように濁流。ボートで水の上を走っているのかという水しぶき。そこで初めて奄美エフエムをつけてみた。するとすでに土砂崩れも各地で起きており、ひどいところは腰の高さまで道路冠水とか。そうでなくても危険を感じて引き返す。この雨、名瀬地区もすでに大勢が避難している模様。住用はどうなっているか気になるところ。もはやどこかだけが被災地と呼べない規模で災害が進んでいくかのようだ。
それは20日だったか。南下した台風が見事に戻ってきたのです。くるりと円を描いて。でもここらへんは毎年のこと、いつものこと。庭のカヤックが飛ぶこともないし、縛る必要もないのです。そして夜、轟音と共に叩きつける雨と風。みると廊下が水びたし。水滴ではなく、まるで水道の閉め忘れみたく、ストレートに水が天井からおたれになっているではありませんか! もちろんだからといって暴風域まっただ中の夜に屋根など見に行ったら吹っ飛ばされます。さっそく屋内アウトドア開始。ブルーシートを天井から垂らし、ひとつのバケツに雨漏りを集中させます。まるで水道の蛇口が開いてんのか、というくらいの勢い。8歳の娘がすわって入れるくらいのでかいバケツ。それがものの一時間くらいで7割はたまります。まめに排水。
そして雨もやみ、少し晴れた21日。屋根をみたら案の定。ぶっとんでました。もうこんな日は大工です。
島のスーパーはガラガラ。あるもので調理です。21日の夜からようやく物資が入り始めます。スーパーに人が殺到しそうです。台風前は牛乳を仕入れまくった某スーパー。その時は台風も少しそれたので、牛乳を無料で配っていました。そして台風カンバック! 今度はモノがありませんとは皮肉。
そして雨もやみ、少し晴れた21日。屋根をみたら案の定。ぶっとんでました。もうこんな日は大工です。
島のスーパーはガラガラ。あるもので調理です。21日の夜からようやく物資が入り始めます。スーパーに人が殺到しそうです。台風前は牛乳を仕入れまくった某スーパー。その時は台風も少しそれたので、牛乳を無料で配っていました。そして台風カンバック! 今度はモノがありませんとは皮肉。
なでしこジャパンの強さの秘密、その一つは、監督のため、男性のためといった想いが大きいと分析しているテレビ番組をみた。その想いが一致団結を強め、起死回生の突破力を発揮させてきたという。事実選手達へのインタビューをみると、口々にそう語っている。これは男子選手にはあまりわからない感覚らしく、実際監督自身も選手にそんなこと思われているなんてわからなかったらしい。女性の特徴というか強みの一つなのだろう。
それはともかくとして、とにかく暗い気持ちに沈みがちだった近頃のニュースを、なでしこブルーのさわやかな閃光で見事に吹き飛ばしてくれたのは確かだ。空を覆う暗雲の土手っ腹に風穴を開け、一筋の光を呼び戻したようだ。立ち上がる力、あきらめない力、結果を出す力。ほんとうにお見事だった。今更ながらおめでとう!!
それはともかくとして、とにかく暗い気持ちに沈みがちだった近頃のニュースを、なでしこブルーのさわやかな閃光で見事に吹き飛ばしてくれたのは確かだ。空を覆う暗雲の土手っ腹に風穴を開け、一筋の光を呼び戻したようだ。立ち上がる力、あきらめない力、結果を出す力。ほんとうにお見事だった。今更ながらおめでとう!!
僕らがシーカヤックマラソンに燃えているとき、沖縄本島からシーカヤック数艇が奄美大島を目指して北上を始めた。折りたたみ式のそれはどこでも旅が終えられる自由さがあり、そのスタイルを例えて1wayトリップ(出発地点にもどらない)という。
ところが激潮、高波に阻まれ、沖永良部島からはフェリーにて古仁屋へはいった。かつて沖縄から奄美まで単身漕いで北上した旅を思い出すと、彼らが遭遇した海の激しさを想像することはたやすい。
そのメンバーに、僕がシーカヤックを習い始めた頃から一緒にやっている友人がいて、最後の夕食を長谷川家一同で同伴。仲間の話や僕らが住んでいた土地の話で花が咲き、時間は矢のようにさっていく。僕らが伊豆を去るとき元気に見送ってくれた人が亡くなっていたり、世話になった民宿のおじさんが町長になっていたり、友人の彼女がまた変わっていたり、まったくみんな変わっていく。そういう遊びに来た本人も、まさかの結婚という報告であった。嬉しいとか、おめでとうとかはしゃぐ気持ちより、なんかお帰りといった感じで、ほっとする。
旦那さんとも一緒にカヤックを漕ぐ人とのこと。折りたたみの二人乗りを買ったそうだ。新婚旅行はその船で旅に出る。結婚人生ともども、よい船出をと見送りたい。
次に奄美へやってくるときは、新しい姓で呼ばせてもらいますよ。
ところが激潮、高波に阻まれ、沖永良部島からはフェリーにて古仁屋へはいった。かつて沖縄から奄美まで単身漕いで北上した旅を思い出すと、彼らが遭遇した海の激しさを想像することはたやすい。
そのメンバーに、僕がシーカヤックを習い始めた頃から一緒にやっている友人がいて、最後の夕食を長谷川家一同で同伴。仲間の話や僕らが住んでいた土地の話で花が咲き、時間は矢のようにさっていく。僕らが伊豆を去るとき元気に見送ってくれた人が亡くなっていたり、世話になった民宿のおじさんが町長になっていたり、友人の彼女がまた変わっていたり、まったくみんな変わっていく。そういう遊びに来た本人も、まさかの結婚という報告であった。嬉しいとか、おめでとうとかはしゃぐ気持ちより、なんかお帰りといった感じで、ほっとする。
旦那さんとも一緒にカヤックを漕ぐ人とのこと。折りたたみの二人乗りを買ったそうだ。新婚旅行はその船で旅に出る。結婚人生ともども、よい船出をと見送りたい。
次に奄美へやってくるときは、新しい姓で呼ばせてもらいますよ。
ここへ来て5年目になりますが、
はじめて山から笹の木をきってきました。
なんでいままでしなかったかって、
なんか心のゆとりがなかったんでしょうか。
小さい時、東京の実家でもよく兄弟そろって仲良く飾り付けしたものでした。この二人をみているとほのぼのと思い出されます。
♫ささのはさーらさら〜♫
はじめて山から笹の木をきってきました。
なんでいままでしなかったかって、
なんか心のゆとりがなかったんでしょうか。
小さい時、東京の実家でもよく兄弟そろって仲良く飾り付けしたものでした。この二人をみているとほのぼのと思い出されます。
♫ささのはさーらさら〜♫
しーまブログも始めました。
碧い蒼い島暮らし
碧い蒼い島暮らし