夫婦、子供2人、犬1匹が奄美大島へ移住。海と畑と人にもまれて走りまわる生活記録
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カサリンチュ、
メジャーデビューおめでとう!
7月28日、島の若者アーティスト、「カサリンチュ」がメジャーデビューを果たした。その記念ライブがあったので名瀬市のホテルへと応援に行ってきた。2人組のユニットで、一人はアコースティックギターと絶妙な歌声、もう一人はヒューマンビートボックスの達人。パーカッションもドラムもないのにそれらの音をすべて口で、マイクで鳴らすというもの。知らないで始めて見る人は、ドラムやベースはどこかのスピーカーから流れていて、音を出している本人を「歌わないで体を揺らしているだけ」の人と勘違いする事もあるほど。奄美大島出身のメジャーアーティストといえば、中孝介、元ちとせ、我那覇美奈など。それに続くデビューとなった。もう5年くらい前になるか。まだ私たちが静岡県の伊豆で暮らしていた頃。妻と移住先を検討していたときに「奄美っていういい島があるよ」と誘った。そして1歳の娘をつれてドライブしたのだ。ついでにひさしく出ていなかった奄美シーカヤックマラソンに出場。その後夜祭で、はじめてカサリンチュを見た。すでにメジャーとして大きく羽ばたこうとしていた中孝介がメインで、その前座だった。当時の彼らは「メジャーなんてそんな…」という感じで島の中での活動がメインだった。
ヒューマンビートボックスの朝君と同じ居酒屋でバイトしていたとき、よくそんな事を言っていた。それがあれよあれよと人気が高まり、もちろん彼らの地道な努力あってだが、ついに大きくはばたくことになった。
2人とも、多くの島人がそうである様に、高校をでると内地にあこがれて出て行った。しかし都会の現実に失望し、夢に迷い、苦しんだのだ。ひょんな偶然か、島で友人の結婚式があり、そこで高校時代にバンドを組んでいた2人は久しぶりに再会して演奏する。そして昔から世話になっていたライブハウスのオーナーから、「島でも音楽できるんだぞ」とう一言が投げられた。それは強烈な矢のように彼らを貫く衝撃を与えた。その言葉が、島に帰ろうと彼らに決意させた決定打となり、今日のカサリンチュを生み出したのだ。当時を振り返って目に涙を浮かべる彼らの姿が、その言葉の重たさ、喜びを物語っていた。ライブハウスのオーナーがテレビで語っていたことばは私も感動した。ともすると、都会で成功しないと成功とは認められないという定説。それは、島の中には夢は無いという考えだ。それが悔しかったという。島でもできる、島からも生み出せる、夢をつかめるということを形にしたかったという。カサリンチュは、一度は島を出て、そして島へ帰ってきてメジャーデビュ−を果たし、島から音楽を発信するのだ。島に根ざした彼らの音楽が、万感の思いをのせて全国へ流れて行く。島に夢見てよそからやってきた私も、大いに刺激されてやまない。彼らとともにどこまでも夢を信じて走って行こう。
メジャーデビューおめでとう!
7月28日、島の若者アーティスト、「カサリンチュ」がメジャーデビューを果たした。その記念ライブがあったので名瀬市のホテルへと応援に行ってきた。2人組のユニットで、一人はアコースティックギターと絶妙な歌声、もう一人はヒューマンビートボックスの達人。パーカッションもドラムもないのにそれらの音をすべて口で、マイクで鳴らすというもの。知らないで始めて見る人は、ドラムやベースはどこかのスピーカーから流れていて、音を出している本人を「歌わないで体を揺らしているだけ」の人と勘違いする事もあるほど。奄美大島出身のメジャーアーティストといえば、中孝介、元ちとせ、我那覇美奈など。それに続くデビューとなった。もう5年くらい前になるか。まだ私たちが静岡県の伊豆で暮らしていた頃。妻と移住先を検討していたときに「奄美っていういい島があるよ」と誘った。そして1歳の娘をつれてドライブしたのだ。ついでにひさしく出ていなかった奄美シーカヤックマラソンに出場。その後夜祭で、はじめてカサリンチュを見た。すでにメジャーとして大きく羽ばたこうとしていた中孝介がメインで、その前座だった。当時の彼らは「メジャーなんてそんな…」という感じで島の中での活動がメインだった。
ヒューマンビートボックスの朝君と同じ居酒屋でバイトしていたとき、よくそんな事を言っていた。それがあれよあれよと人気が高まり、もちろん彼らの地道な努力あってだが、ついに大きくはばたくことになった。
2人とも、多くの島人がそうである様に、高校をでると内地にあこがれて出て行った。しかし都会の現実に失望し、夢に迷い、苦しんだのだ。ひょんな偶然か、島で友人の結婚式があり、そこで高校時代にバンドを組んでいた2人は久しぶりに再会して演奏する。そして昔から世話になっていたライブハウスのオーナーから、「島でも音楽できるんだぞ」とう一言が投げられた。それは強烈な矢のように彼らを貫く衝撃を与えた。その言葉が、島に帰ろうと彼らに決意させた決定打となり、今日のカサリンチュを生み出したのだ。当時を振り返って目に涙を浮かべる彼らの姿が、その言葉の重たさ、喜びを物語っていた。ライブハウスのオーナーがテレビで語っていたことばは私も感動した。ともすると、都会で成功しないと成功とは認められないという定説。それは、島の中には夢は無いという考えだ。それが悔しかったという。島でもできる、島からも生み出せる、夢をつかめるということを形にしたかったという。カサリンチュは、一度は島を出て、そして島へ帰ってきてメジャーデビュ−を果たし、島から音楽を発信するのだ。島に根ざした彼らの音楽が、万感の思いをのせて全国へ流れて行く。島に夢見てよそからやってきた私も、大いに刺激されてやまない。彼らとともにどこまでも夢を信じて走って行こう。
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