夫婦、子供2人、犬1匹が奄美大島へ移住。海と畑と人にもまれて走りまわる生活記録
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登校日までに宿題の大詰めをはかる娘。またしてもストレスでぶちきれ、パパのカヤックにいきたと泣すがる。この日の海は龍郷湾。それはそれは静かな海でした。まるでニュージーランドのフィヨルドですよといいたくなります。海の中も丸見えでシュノーケルしないでも楽しめます。上陸地はクジラ浜。今回ゲストは初めての場所。そこは広漠なビーチ。砂浜が小高い坂になっており、サンドスキーもできます。娘は濡れた体で転がり、どうみてもきなこもち。子供には最高です。ティータイムでフルーツポンチを楽しみ、夕方のさらに静かな海を満喫でした。娘は感想文の仕上げに数日かかって悩んでましたが、急遽この日のカヤック体験に中身を切り替え、一日で仕上げました。やっぱり楽しいことが一番はかどりますね。
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娘が通う水泳教室のバーベキュー。
海辺の夕方はビールのおいしい日差し。
赤木名の静かな海岸は、
夕焼けの不思議な魔法を見せてくれました。
海辺の夕方はビールのおいしい日差し。
赤木名の静かな海岸は、
夕焼けの不思議な魔法を見せてくれました。
なでしこジャパンの強さの秘密、その一つは、監督のため、男性のためといった想いが大きいと分析しているテレビ番組をみた。その想いが一致団結を強め、起死回生の突破力を発揮させてきたという。事実選手達へのインタビューをみると、口々にそう語っている。これは男子選手にはあまりわからない感覚らしく、実際監督自身も選手にそんなこと思われているなんてわからなかったらしい。女性の特徴というか強みの一つなのだろう。
それはともかくとして、とにかく暗い気持ちに沈みがちだった近頃のニュースを、なでしこブルーのさわやかな閃光で見事に吹き飛ばしてくれたのは確かだ。空を覆う暗雲の土手っ腹に風穴を開け、一筋の光を呼び戻したようだ。立ち上がる力、あきらめない力、結果を出す力。ほんとうにお見事だった。今更ながらおめでとう!!
それはともかくとして、とにかく暗い気持ちに沈みがちだった近頃のニュースを、なでしこブルーのさわやかな閃光で見事に吹き飛ばしてくれたのは確かだ。空を覆う暗雲の土手っ腹に風穴を開け、一筋の光を呼び戻したようだ。立ち上がる力、あきらめない力、結果を出す力。ほんとうにお見事だった。今更ながらおめでとう!!
先日小学校の水泳発表会があり、こどもたちは暑い中、
着衣水泳なども披露してくれました。まあ、みんな重たそうに泳いでいました。そんな指導も、水難事故が絶えないからのようです。
僕も伊豆生活時代、ボーイスカウトの講師として着衣水泳の指導をしたことがありますので、なつかしく指導風景を眺めておりました。しかし年配の方々から昔の話をきくと、みんな学校帰りに、ランドセルしょったまま高い岩から海に飛び込んでいたらしいです。教科書びしょびしょ、ランドセルは水瓶。服もずぶぬれ。それでも溺れて死ぬような事故はなかったといいます。今と違って誰かしら大人がみていてくれたとか、背景にちがいはあるでしょうが、たくましい限りですね。ランドセルしょったまま泳ぐのがいいかどうかは別として、そんな遊びの中から、プールでは覚えられないたくましい水泳感覚が培われていったのでしょう。それは記録のための泳ぎではなく、まさに生き残るための力といえるでしょう。
こどもたちよ、おおいに遊べ!
着衣水泳なども披露してくれました。まあ、みんな重たそうに泳いでいました。そんな指導も、水難事故が絶えないからのようです。
僕も伊豆生活時代、ボーイスカウトの講師として着衣水泳の指導をしたことがありますので、なつかしく指導風景を眺めておりました。しかし年配の方々から昔の話をきくと、みんな学校帰りに、ランドセルしょったまま高い岩から海に飛び込んでいたらしいです。教科書びしょびしょ、ランドセルは水瓶。服もずぶぬれ。それでも溺れて死ぬような事故はなかったといいます。今と違って誰かしら大人がみていてくれたとか、背景にちがいはあるでしょうが、たくましい限りですね。ランドセルしょったまま泳ぐのがいいかどうかは別として、そんな遊びの中から、プールでは覚えられないたくましい水泳感覚が培われていったのでしょう。それは記録のための泳ぎではなく、まさに生き残るための力といえるでしょう。
こどもたちよ、おおいに遊べ!
僕らがシーカヤックマラソンに燃えているとき、沖縄本島からシーカヤック数艇が奄美大島を目指して北上を始めた。折りたたみ式のそれはどこでも旅が終えられる自由さがあり、そのスタイルを例えて1wayトリップ(出発地点にもどらない)という。
ところが激潮、高波に阻まれ、沖永良部島からはフェリーにて古仁屋へはいった。かつて沖縄から奄美まで単身漕いで北上した旅を思い出すと、彼らが遭遇した海の激しさを想像することはたやすい。
そのメンバーに、僕がシーカヤックを習い始めた頃から一緒にやっている友人がいて、最後の夕食を長谷川家一同で同伴。仲間の話や僕らが住んでいた土地の話で花が咲き、時間は矢のようにさっていく。僕らが伊豆を去るとき元気に見送ってくれた人が亡くなっていたり、世話になった民宿のおじさんが町長になっていたり、友人の彼女がまた変わっていたり、まったくみんな変わっていく。そういう遊びに来た本人も、まさかの結婚という報告であった。嬉しいとか、おめでとうとかはしゃぐ気持ちより、なんかお帰りといった感じで、ほっとする。
旦那さんとも一緒にカヤックを漕ぐ人とのこと。折りたたみの二人乗りを買ったそうだ。新婚旅行はその船で旅に出る。結婚人生ともども、よい船出をと見送りたい。
次に奄美へやってくるときは、新しい姓で呼ばせてもらいますよ。
ところが激潮、高波に阻まれ、沖永良部島からはフェリーにて古仁屋へはいった。かつて沖縄から奄美まで単身漕いで北上した旅を思い出すと、彼らが遭遇した海の激しさを想像することはたやすい。
そのメンバーに、僕がシーカヤックを習い始めた頃から一緒にやっている友人がいて、最後の夕食を長谷川家一同で同伴。仲間の話や僕らが住んでいた土地の話で花が咲き、時間は矢のようにさっていく。僕らが伊豆を去るとき元気に見送ってくれた人が亡くなっていたり、世話になった民宿のおじさんが町長になっていたり、友人の彼女がまた変わっていたり、まったくみんな変わっていく。そういう遊びに来た本人も、まさかの結婚という報告であった。嬉しいとか、おめでとうとかはしゃぐ気持ちより、なんかお帰りといった感じで、ほっとする。
旦那さんとも一緒にカヤックを漕ぐ人とのこと。折りたたみの二人乗りを買ったそうだ。新婚旅行はその船で旅に出る。結婚人生ともども、よい船出をと見送りたい。
次に奄美へやってくるときは、新しい姓で呼ばせてもらいますよ。