夫婦、子供2人、犬1匹が奄美大島へ移住。海と畑と人にもまれて走りまわる生活記録
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
土砂降りに二日間缶詰にされ、外にも出れないとブログでもやるかあ、となる。読書家なら絶好の「雨読」タイムなのだろうが、自分はどっちかというと瞑想家かもしれない。
ひとり精神の奥深くの静寂にひたる。まるで大宇宙とひとつになるかのような広大なやすらぎだ。釈迦はそれを梵我一如と説いたのか。まだまだ高まり、広がり続ける自分の意識。ひとの精神はいったいどこまで膨張していくのだろう。108あるという煩悩。それらをすべて反省して洗い出し、心からの懺悔がなされると雪が溶けるように消えて行くのがわかる。すべてが浄化された後にたどり着く世界が、涅槃常寂の世界と仏教では説いているが、いったい今自分の意識はどこの世界にあるか。さらに、高まる意識と共に生命力の充実を感じ、まるで10代にでもなったかのような爽快さである。こんな気持にひたって生きられることこそ、もしかしたら極楽というのかもしれない。
混沌の深みへと進む世界の情勢だが、日々関わる人々、日々の出来事こそ心の師と捉え、意識の向上をはかっていくならば、それだけで大きな安心をつかめるのではないかと思う。梅雨明け前の奄美大島で、ふと宇宙の真理と不安定な世界での生き方についてに思いを巡らせてみた。
ひとり精神の奥深くの静寂にひたる。まるで大宇宙とひとつになるかのような広大なやすらぎだ。釈迦はそれを梵我一如と説いたのか。まだまだ高まり、広がり続ける自分の意識。ひとの精神はいったいどこまで膨張していくのだろう。108あるという煩悩。それらをすべて反省して洗い出し、心からの懺悔がなされると雪が溶けるように消えて行くのがわかる。すべてが浄化された後にたどり着く世界が、涅槃常寂の世界と仏教では説いているが、いったい今自分の意識はどこの世界にあるか。さらに、高まる意識と共に生命力の充実を感じ、まるで10代にでもなったかのような爽快さである。こんな気持にひたって生きられることこそ、もしかしたら極楽というのかもしれない。
混沌の深みへと進む世界の情勢だが、日々関わる人々、日々の出来事こそ心の師と捉え、意識の向上をはかっていくならば、それだけで大きな安心をつかめるのではないかと思う。梅雨明け前の奄美大島で、ふと宇宙の真理と不安定な世界での生き方についてに思いを巡らせてみた。
PR
この記事にコメントする